シンポジウムのテーマは「大阪発・実効性ある住宅防災対策のスキーム・・・不動産業者が開拓する防災ビジネスの新市場」です。
講演には関西学院大学総合政策学部教授の室崎益輝先生をお迎えし、30年以内に確実におきると予想されている南海トラフ地震が起きた場合の対策などを中心にお話をしていてだきました。
今回のフォーラムではテーマにあった論文を募集していたのですが、それほど文字数も多くなかったので気軽に応募させていただいたら優秀賞をいただくこととなりました。
拙い文章ですが、その論文を掲載したいと思います。
テーマとは外れているかもしれませんが、僕が大切にしている人の感情や気持ちなどこころのあり方について不動産業者が真摯に向き合うことが大切だということをまとめています。
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私は不動産業界に入って14年になる。現在49歳。35歳で初めてこの業界に入ったわけだが、入った会社のせいなのか業界のせいなのか、それとも社会経験が不足していた自分のせいなのかわからないが、非常に居心地の悪さを感じていた。
7年前に会社の方針に耐え切れず逃げるように退社し自ら不動産会社を起こしたが、違和感が消えることはなかった。しかしある日転機が訪れた。それは任意売却という仕事と出会ったことだ。
任意売却とは住宅ローンを何かの事情で払えなくなった人が所有する通常では売却できない住宅を金融機関と交渉して売却し返済の一部にあてる業務である。ここで様々な家族と出会うことになった。すでに離婚している家族、家に執着する家族、新しい生活に向けて前向きに行動する家族など。
同じような状況でも様々な考え方や行動結果を目にしてきた。相談に来られる方の家は築10年前後が多かった。会社に勤めていた頃、新築の建売住宅を販売していた自分には、真逆といえる業務だったので、複雑な気持ちで対応することとなった。
住宅ローンを払えなかった理由は、リストラやボーナスカットなどの会社の都合や不況の影響による売り上げ減、病気や怪我などが原因の休職や失業など様々な要因があるが、問題はそういったリスクを考えずに購入した消費者の責任でもある。
しかし表面化されていないが、私が一番問題だと思っているのは自社の業績向上のために強引な販売営業をさせる不動産会社であり、もっと言えばそういった体質を持つ不動産業界や金融機関だ。
今回、「不動産業者が開拓する防災ビジネスの新市場を考える」というテーマについて論じる際には業界に脈々と受け継がれてきた負の遺産をまず取り除くことから始めるべきであり、それを行うことによって供給過多で飽和している不動産業界に新しい市場を構築できると信じている。
古い慣習や売り手目線の企画、販売手法を一旦リセットし、住む人の家族構成や生活パターンなどを踏まえて防災や減災に真摯に向き合うことが最善の方法だと思う。災害が起こった際に守るものは「財産」「人命」「心」の3つに集約されるので、それぞれについてのポイントを整理し新市場の可能性を考えていきたい。
まずひとつめの「財産の確保」についてだが、それを考察する前に防災についての定義をまず確認しておこう。防災とは、災害を未然に防ぐ目的をもって行われる取り組みのことである。住宅においては地震後の火災や非難時の怪我などの2次災害などは想定される原因を予め取り除いておくかそれがおきにくい構造にしておくことで回避できる。
災害は自然現象によるもの、人間の行為によるもの、住宅内におこる日常災害の3つにわけられる。財産の確保を目的とするのであれば火災と倒壊について予め対応することで損失を大幅に減らすことが可能となる。
火災について検討するために阪神・淡路大震災の記録を調べてみた。阪神・淡路大震災における火災の発生は285件だった。そのうち地震発生当日の火災は206件で翌日・翌々日にそれぞれ20件ずつ発生している。火災が発生した原因の中で「不明」の147件を除けば「電気による発熱体」が85件ともっとも多くなっている。
また火災285件のうち、146件では初期消火が行われ火災の鎮火に有効だったものが58件あった。消火に用いられた物は、「消火器」が81件で一番多く、次いで「水道・浴槽の水・汲み置き」が29件と続く。
これらをまとめてみると火災の発生原因の高い電気による発熱体への対応と火災発生後の消火活動への対応が有効であると考えられる。地震などの自然災害が起きた場合には自動的に通電をストップさせるシステムの導入や着火対象となるインテリア・建具・たたみなどの不燃化などが考えられる。
初期消火については火災発生が予想される場所付近への消火器の配置や家全体からみた水道や浴槽などへの動線についても考慮したい。家庭用スプリンクラーなどの設置はかなり有効な手段となる。
次に人命の確保について考えてみたい。
2006年におきた長崎県大村市のグループホームで火災が発生し7名の犠牲者が出たことをうけて全国の認知症高齢者グループホームに対して厚生労働省より防火安全体制の徹底の指導が行われた。それにも関わらず2010年には大村市とまったく同じような火災で北海道札幌市のグループホームで7人が亡くなった。
長崎の火災を教訓としてスプリンクラーの設置など据え置き期間をおいて義務付けされていたが、その据え置き期間中に起きた事故としてグループホームの火災に対する意識の低さが露呈した。問題はスプリンクラーの設置の有無ではなく、普段から火災になるような生活を送っていなかったかどうか。
また火災になった場合を想定した避難経路の確保や夜間の人員の確保など人命を第一に考えて日ごろから注意をしていたのかどうかが問題視される。
不動産業者が今後住宅などを提案する際には、万が一の際の避難経路の説明や暖房器具などの取扱い、火災時の換気、初期消火についてなどの説明なども合わせてすることも提供する側の義務として意識付けをするべきであり、それらを付加価値としてサービス化や商品化することも可能だと思う。
またこれから益々進む高齢化社会では、独り暮らしの高齢者が住む賃貸住宅、高齢者と同居する住宅などに対して防災意識を持って計画することで、防災に対応したプランやあらたなサービスを提供する可能性を見出すことができる。ハードを売るという感覚からそこに暮らして実際に必要となることを予め予測したソフトを提供することが停滞した住宅産業にとっての活路となるのは必然である。
最後に心のありかたについて考えてみたい。
初めに出た任意売却によって家を失う家族を見て思ったことがある。それは多くの家族が本末転倒していることだ。家に執着するあまりに家族が崩壊したり、うつ病などの精神的な病におかされたりする。これは「家族」の存在よりも「家」の存在が大きすぎることを証明している。
家は一生の買い物。100年住宅。200年住宅など価値を訴えることは否定しないが、所詮は住む人にとっての箱でしかない。最優先するのは家族の健康と幸せである。住宅ローンの滞納や災害によって家を失っても家族が健康でいられれば幸せはまた手に入る。
先日、社団法人全日本不動産協会阿倍野支部の研修旅行で東北に行った。被災した場所の見学もあったが、私が感動したのは震災後、数日で復旧していった数々の現場写真だった。そこには被害によって落ち込む人々の姿はなく、力を合わせて前に進みだす人々の強い精神力と行動力が写されていた。
江戸時代の江戸では「火事と喧嘩は江戸の華」というぐらい火災が日常茶飯事だったそうだ。あらかじめ燃えることを想定して1件分の材木をストックしている人もいたと聞く。住宅を提供する側として2件分を提供することは出来ないかもしれないが、家は所詮モノでしかないという意識で考えてみると面白いアイデアが浮かぶかもしれない。
災害は雨と同じだ。
避けることは出来ないが備えることはできる。仮に濡れたとしても熱い風呂に入って服は乾かせばいい。風呂上りの冷たい飲み物を提供する役目を今後の不動産業界が担えるようになれば、おのずと防災システムの新市場が構築されるはずである。
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