2013年02月17日

創造主について

神や宇宙やハイヤーセルフだといろんな呼び名があるとにかく偉大な力のようなものが存在する。

と多くの人が思っているはずです。

人間はその見えないものが創造したこの世のあらゆるものの一部に過ぎないとか。

誰がなにを思いそれをもとに誰に伝えようと自由だと思いますが、根本的な間違いを全ての人たちがおかしていることがあります。

それは真理を見つけようとしていることです。

そして自分なりの確信を得たものをそれがあたかも正解であるかのように他人に語りたがるのです。

この世の中に正解があるとしたらそれは自分自身がそう思ったことだけです。

いくら太陽の周りを地球が回っているといってもそうでなくゾウの上に乗っかっていると思えばそれが正解となります。

僕は統合失調症でいまから20年ぐらい前に精神病院に入院したことがあります。

入院患者にいくら科学的に証明されたことを言っても彼らが思っている世界とはまったく関係のない話なのです。

彼らの頭の中が彼らの世界であってそれ以外は何も無いわけです。

それを逆に観てみると彼が考えることが世界となります。

彼が彼の体験する世界の創造主となるわけです。

僕はこの世の中(自分が認識できる範囲でしかありませんが・・)にあるものは全て自分が作り出したものだと思っています。

街中で大声でこういうことを叫ぶとまた病院に逆戻りしてしまうので、ブログやメルマガ、僕の話を聞きたいという人たちにこっそり話すだけに留めていますが、そういう風に考えるととても楽しいことが起きます。

まず人に対して腹をたてることがなくなります。

怒るというのはとてもエネルギーのいることです。おじいさんになっても怒っている人をみるとなんて元気なんだろって感心してしまいます。

どうして腹をたてなくなるのか。

それは全てのものが自分の作り出したものだと思えば、腹の立つ他人も自分が作り出したと思えるからです。

分かりやすく言えば小説家と主人公の関係です。

自分の人生の主人公は間違いなく自分です。

そしてその主人公が存在する世界を作り上げているのは小説家である自分自身だと仮定するのです。

主人公が脇役の言動などで感情が揺れ動くのはしかたがないことですが、小説家が脇役の言動に左右されることはありません。

小説家自身が脇役の言動を考えて主人公の世界に登場させているだけだからです。

腹をたてなくなるというのは、そういったレベルですべての物事を判断できるようになると腹をたてたくてもたてられなくなります。

自分が作り上げた人物に腹をたてるのは、自分の尻尾を追いかける犬のようなものです。

滑稽な姿を想像できますが、ほとんどの人が尻尾を追いかけながら悩み苦しんでいるのです。

少し想像してみてください。

街を歩いて前から来る人たちが全て自分が描いたエキストラだと。

図書館にある本は全て自分が描いたものなんだと。

想像するのはまったく自由です。

はじめはうまくいかないかもしれませんが、少しずつこつを覚えていけば新しい問題に直面した時に今までとはまったく違った発想で対応することが可能となります。

この世界はあなたが全て作り上げているのです。

当然、この文章もあなたが書いたものです。

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2012年07月16日

フンデルトヴァッサー「窓の権利」

madonokenri.jpg
感性と社会という本を読んでいたら舞洲のごみ焼却場の写真が出てきました。

と思ったら

ウィーンにあるゴミ焼却施設でした。
ごみ焼却場からゴミ焼却施設に一気に格上げとなりました。(言い方だけですけど。。)

ご存知でないかたに簡単に説明すると大阪オリンピックを誘致するために埋め立てられた舞洲という場所にあるオーストラリア人画家フンデルトヴァッサーが構想したゴミ焼却施設と間違えたのでした。(説明ナガ!ふらふら

大阪で建設された当時から税金の無駄遣いだ〜

などという批判的な意見が渦巻いていて
僕も何度か前を車で通り過ぎたことがあったのですが、
まったく芸術的な価値を見出せずにいました。

芸術作品をどうとらえようとそれは見るものの勝手なのかも
しれませんが、たまたま開いた本に彼のことが詳しく書かれて
いたというのも何かの縁だと思って読み進めました。

彼は画家で世界的に有名になっただけでなく
「建築の医者」という肩書きを持つほどに
建築の分野でも活躍されたようです。

今回、ブログで紹介しようと決めたのは
タイトルにある「窓の権利」についての
考え方に共感したからです。

彼は1928年に生まれ、2000年に71歳でなくなりました。
ちなみに舞洲の焼却場の完成は2001年です。

当時は機能を重視した合理的主義を最優先にした建築物の時代でした。
そんな時に彼は窒息しかかっている直感と感性の開放を唱えたそうです。

彼の思想は晩年どんどん集約されていき、活動そのものはさらに広がって
社会環境や自然環境へと向かい、自然と調和のある生活環境の実現に
向けられたようです。

窓の権利とは、規格化され量産された窓に象徴する全体主義的な発想が
本来創造的なことを好む人間から個性を排除する有害なものとして
捉え、自由な発想を窓から主張しなければいけないというものです。

窓は内と外をつなぐものであって室内からは外の空気をとらえ、
外の通行人からはそこに住む人の存在を確認できるものです。

それがどの家も均一であるとしたらそこに住む人から個別性を
剥ぎ取り、匿名化までしていまうと考えています。

彼は均一化された窓は「強制収容所の特徴」だとも断言していて、
本来はそこに住む人が主張できるものでなければならないと言っています。

そのためには、大きさ、形状、凹凸、色などを通して
自らの存在を外部に向けて示すことができなければならない。

と考えた結果

あのようなデザインとなったわけです。

僕がどうして彼の思想に共感したかというと
当時の建築物と今の僕たちの正しいと思っていることが
似ているなと思ったからです。

別に窓の形なんてどうだっていいと思っています。

彼の考え方で言えば服だって袖の開口部も
均一なのはおかしいなんて言い出すかもしれません。

それよりも

建築物に限らず機能主義や合理主義で
発展してきた経済が破綻した社会で
なおも規格化された窓の中で
もがき苦しんでいる人たちが多いのではないかと
思ったわけです。

何度も言いますが、
建築物のことを言っているわけではありません。

これまでよしとしてきた
考え方が直線的で機能だけを追及してきたのでは
ないかということです。

これからの社会は個人が創造性を持って
最大限アピールしていかなければ生き残れないと
考えています。

ネットの社会では自由に個性を表現することが可能です。

今これをご覧のかたの7割ぐらいはwindowsだと思います。
駄洒落を言いたくてわざわざ長々と書いてきたわけではないですが、

目の前の「窓」をどう表現するために利用するのか

これからの時代はそれにいち早く気付いた人が
人間らしい暮らしを手に入れる道の先頭を歩いていくのかもしれません。

今度あのゴミ焼却施設の前を通るまでには
規格化された窓を壊すぐらいの勢いで
表現できるようになっていたいと思います。

本日のおまけ動画
夜のゴミ焼却場



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2012年07月11日

電通の鬼十訓

一、仕事は自分から「創る」べきで与えられるべきではない
二、仕事とは先手先手と、能動的に「働きかけ」ていくことで、受け身でやるものではない
三、「大きな仕事」と取り組め、小さな仕事は己を小さくする
四、「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある
五、一度取り組んだら「放すな」目的完遂まで殺されても放すな
六、周囲を「引きずり回せ」引きずるのと、引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきが生ずる
七、常に「計画」をして、長期に亘る計画をもっておれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる
八、何事にも「自信」をもて。自信がないから君の仕事には迫力も粘りも、そして厚みすらもない
九、頭は常に「フル回転」八方に気を配って、一分のスキもあってはならない。サービスとは、そのようなものである
十、「摩擦を怖れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練的な人間となる

芸術大学のデザイン科に在籍していた僕にとっては憧れの会社になるはずだったのだろうけど、何を考えていたのか就職もせず、卒業と同時にアルバイト情報をコンビニで購入し、詐欺まがいのリフォーム会社の営業アルバイトに応募したことがスタートで現在があります。

人生って奴は・・・もうやだ〜(悲しい顔)

と喜んでる場合ではありませんが、最近話には聞いていたこの鬼十訓を読む機会があってこの中のひとつにちょっと思うことがあるので、ここに書きました。

六の訓(教え?)です。

人に引きずり回されることは当然自分がしんどくなるのでしょうけれど、自分の固定観念によって自分自身に引きずりまわされている人が多いような気がします。

僕もそのうちの一人です。

この鬼十訓にある独特の口調もそうですが、「こうでなくてはならない!」的な発想はどうも人間には向かないような気がします。

ただ最初に断っておきますが、もともとこれは電通という会社の社員向けなので、僕がどうこういう資格も権利もなく、世の中の人たちにあてはめるのも筋違いの話だということを前提に読んでください。

で、話を戻すと。

「こうでなくてはならない!」なんていう元気が出そうな発想は人間を極端に追い詰めてしまいそうな気がするからです。それと逆に発想自体が狭まってしまうというか、おもしろくないというか・・。

六でいうなら周囲に引きずり回されるだけ引きずり回されるとどんな感じなのかな〜って試してみるのも面白いなと思います。それは引きずり回されているようであっても自分主導なのかもしれませんが・・。

時間プランナーと名乗りだして4ヶ月ほど経ちますが、益々物事をななめから見てしまう嫌な感じの人になっています。がく〜(落胆した顔)

結局何が言いたかったかというと

肩の力を抜いたほうが速い球が投げれますよ

ってことです。わーい(嬉しい顔)

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ラベル:電通 鬼十訓
posted by 時間プランナー at 16:57| Comment(0) | 日々の営業での気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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